この窯を開発した理由は私の住んでいるところは、足尾山地の下流に位置し、昔から渡良瀬川の鉱毒と戦ってきました。 鉱毒の対策事業により鉱毒は少なくなってきましたが、別な松枯れが進んできました。これは酸性雨と明治以来の石炭からの酸化硫黄成分の蓄積により足尾の山々や近辺の山が酸性化してしまい、せっかくの植林した木がほとんど枯れ山も土砂の流出で荒れてしまいました。その結果山から出てくる水を計ってみると銅イオン、砒素などで汚染されていました。炭は汚染物質を吸収する効果もあります。酸性土壌では固定されたアルミや鉄がが溶け出し、硫酸鉄として木が根より吸収し木の内部で硫酸鉄と燐が化学結合し燐酸鉄となり木が必要とするリンが無くなることにより栄養失調になり、枯れたり、松の木は松脂を作り出せなくなり、害虫が松の中に簡単に入り込むために内部を食い荒らされて枯れ死します。このごろでは広葉樹のナラや針葉樹のスギも枯れが始まっています。これはナラは内部のタンニンが硫酸鉄と反応しタンニン鉄となりタンニンが無くなり虫害になるためと考えられます。タンニンは動物のたんぱく質を変性させ害虫を殺す働きをします。貧血で医者から。処方された鉄材を飲んでいる方が薬を飲んで30分以内にお茶を飲んで胃や腸内でお茶のタンニンと鉄が反応してタンニン鉄となり効き目が無くなって貧血が治らないのと同じことです 私達下流で使用している安全な水を守るためには、この中和事業を早く行わなければなりません。太田市も渡良瀬川から取水しています。故岸本定吉博士の(日本炭焼きの会会長)提唱により足尾の復活に炭が持つアルカリ性を利用して土壌の中和をしなさいとの提言により各ボランティア団体が集まり炭焼きを行い、その炭を使って炭撒きを行うようになりました。この炭を作るのに旧型のドラム缶炭焼き窯での炭焼きの日数は二日かかっていました。これを何とか一日で炭焼きと炭撒きを出来ないかと考えました。 この条件クリアーする為に短時間で炭が焼ける炭焼き窯の研究開発を行ってきました。炭撒きボランティアの方たちに炭を焼いて炭撒きを一日で行ってもらう為には、5時間以内の炭焼きのできる窯を開発しなければなりませんでした。 そこで約3年間の研究の結果、乾燥した竹ならば3時間以内、そして乾燥し細くした木材ならば5時間以内に炭を作る窯の開発に成功しました。2003年は最短1時間25分の記録をその年の12月に作りました。 また私の関連するボランティアグループの方達が足尾の安蘇沢上流の枯れかけた松の根元に炭を撒いたところ地域の松枯れは止まる効果となりました。草も多く生えて虫もいっぱい出るようになりました。 その後、前橋の敷島公園の松林に炭を撒き中和を行った結果、炭を入れた松は元気になりました。残りの松も炭撒きを行いました。2004年3月で終了しましたがやや炭のアルカリ性の効果はそろそろなくなってきていると考えられます。 また、今までに足尾の安蘇沢に炭を撒いたところは全て緑が回復していました。2003年5月にはその地域に植樹を行いました。 また地元の太田市の金山も酸性雨で年間3〜4千本枯れています。 山には松くい虫の防除などと言う名目によって、危険な殺虫剤を撒き散らしています。 静岡の海岸の松(三保の松原)も酸性土壌ですので早く木白炭等で土壌中和をしないと10年以内にすべて枯れると考えます。 このために土壌は酸性雨と共に人間に害をもたらす殺虫剤で近辺の方は将来的に体を蝕まれると思いますし、虫のいない環境では人間も生きられません。 また殺虫剤は虫を殺すだけでなく、人間も殺します。殺虫剤には安全なものは有りません。このような地域でのガンやアレルギーの発生率を確かめると解ります。 このようなことが解らない方のために少しは理解をさせるためと、枯れかかった松を救う事業にと思って、2002年度は太田市の松のオーナー制度に応募して2人で20本を特別に借り受けました。 その松木の根元に2003年5月までに60本の松の根元に500キロの粉炭を散布及び埋めました。毎年、炭と共にカリや燐酸、石灰肥料も合わせて散布を行う予定となりました。窒素成分は日本では多すぎるので加えないようにします。実験に際しては幹の根元の下に撒いたものと幹の上側の枝の下部に撒き入れた2つの方法で実験を行いました。この結果、幹の根元に撒いた松には殆ど効果が無く枯れました。しかし松の枝の先端下部に撒いた松は元気になり、新芽も出ました。下部の写真 2007年5月3日撮影(大森禎子博士確認) 実験では松の葉の先端部分下部と幹の周りに炭を添加することが一番良い結果がでることがわかった。後は残った松で松露やマツタケをなんとか出したい。そうすれば皆が炭による土壌のの中和事業の良さを気づくと思います。 出雲大社の参道の枯れかかった黒松は炭を入れたことにより樹盛の回復が見られました。 これは出雲土建さんが廃材のチップの炭化装置を自腹で4億円かけて製造しまし、松並木の根元に埋めたことによります。指導は大阪工業大学小川真先生の指導の下により行われ、松の好む菌類も散布しました。 この炭化炉により、出雲土建さんは炭をマンションの天井と床下に入れたことにより、このマンションはシックハウス対策やアレルギー対策として有効性がわかり一般のマンションより早く売れてしまいました。 酸性雨による松枯れの判定は木を切断したときに黒や青の縞模様で解ります。これはリン酸第一鉄がリン酸第二鉄になるときの色です。(大森博士の研究) 1Kg(炭素含有率90%)の炭を酸性土壌に埋めると中和して、かつ二酸化炭素3.5Kgの削減となり地球温暖化を防ぎます。この時に使われた燃料の木材は自然エネルギー(バイオマスエネルギー)ですので±0で換算されます。 また、将来の環境対策の為と小中学校の総合学習の勉強に使ってもらえればと思って学校や教育委員会関係などの炭焼き窯の製造使用のライセンスは無料としています。 そして各地の講習会にはできるだけ出るようにしています。 この炭焼き窯は竹で大体3時間の火入でき、朝9時から始めて4時には児童生徒が、お土産用の竹炭を持って帰れるように一日の授業時間内で間に合うようになっています。 また児童生徒を、飽きさせない為に、花炭の作製や炭入り廃油石鹸作りや竹炭の電池作成や竹炭の風鈴、饂飩(うどん)作りピッツァ作り、キーマカレー、アップルパイ、バウムクーヘン作りも一緒に出きるマニュアルも作りました。メインページのリンクから入り,PDFマニュアルをダウンロードして使うことが出来るようにしました。 私が高温度の窯の研究をしている理由の二つ目には銅の鉱山から出てくる鉱石の中の危険な物質を含んでいるからです。 特に渡良瀬川の鉱毒は銅イオン,砒素,カドミウムです。銅イオンは米の生育の阻害,砒素やカドミウムはガンや痺れの原因の一つです。 故岸本先生や炭焼きの研究している方々の研究成果によると高温度で焼かれた炭は重金属の吸着性が良くなると書いてありましたので本校の庭も渡良瀬の鉱毒が多いので1000℃程度で焼いた微粉炭を木の下に撒いて現在実験をおこなっている途中です。また活性炭の製造法にも東京大学農学部空閑教授の指導により研究を進めています。 その炭を作るために活性炭製造用に岩崎式炭焼き窯を改造試験をを行っています。活性炭の炭焼き窯を作る事です。東南アジアでは水に砒素が混じってる地域があり、健康に苦しんでいる方が多い。活性炭で砒素の吸着が出来ればという考えで考えで試験を行っています。 活性炭の製造実験を7年半前から始めて、9窯で47回目の実験でやっと完成を見ました。現在は再実験を行い検証中です。来年には発表できると考えています。現在の結果は炭焼き窯の中に850℃の水蒸気を入れて 14286 m2/gです。炭化炉内の全体に入れた結果では 800-1428 m2/gとなっています。 現在も改良中です。 スギチップ活性炭の比表面積の最大値は 1438 m2/g です。03/Jul/2011 12窯で大鋸屑活性炭は3年半かかりました。10/Oct/2014 スギオガクズ 活性炭は907m2/g 大月グランドの炭焼き窯は50回使用できました。厚み1.4o 大月グランドは閉鎖しました。総合研究センターにて実験を行っています。 学校等での使用を考えた指導用の、ワードで作製したマニュアルを用意してありますので必要な先生は学校のメインアドレスまたは学校を管轄している教育委員会のアドレスをお知らせください。個人のアドレスは不可 データを添付送信します。また基本的なところはpdfファイルがありますので自由にダウンロードする事が出来ます。 |
日本炭焼きの会 名誉会長 故・岸本定吉先生(2003年11月15日没 享年95歳)
この炭焼き窯を作り始めてから3年目に首の6,7番の椎間板を痛めてしまい、右半身は感覚がなくなってしまい
左半身も悪くなり、手術での安全性が確認できないので、現在は整体にかかって椎間板ヘルニアの完治
療法を行っています。このために3年生の生徒がいるときにしか炭焼き窯の配布が出来無いのが残念です。
研究用活性炭製造炭焼き窯は佐藤興業さんで製造してもらっています。:現在は右半身は一般の方の2分の1程度の感覚で
左半身は3分の2程度の感覚まで戻りました。外見からは健康な人と同じに判断されるのが残念なことです。
冬は痺れがひどいので暖かい春待ちです。
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