平成22年度 足利工業大学附属高等学校 研究紀要暫定版              修正日 2016/03/05

炭焼きの昼食に美味(おい)しい料理を作ってみよう
           (第6回 片栗粉焼売(シュウマイ)作りに挑戦してみよう)


      岩﨑 眞理*    
      Iwasaki MASATO   

はじめに
このシリーズを作るにあたり児童生徒が料理を作れることを主眼として,それぞれの料理を3年以上試行錯誤しながら料理実験を行い炭焼き教室の,お昼の食事として楽しく誰でも間違いなく美味(おい)しい料理が作れるようにマニュアルを作成したものである。内容については出来るだけ生徒が導入しやすいように解りやすいように,その始まりや,歴史的背景や科学的文献を最初に簡単に書き,それから料理の作成方法などをまとめたものである。(それぞれの内容の詳細については参考文献や各ホームページを見てもらいたい。)

1.焼売の歴史
東京や横浜のお土産の代表といえば崎陽軒の焼売があげられる。崎陽軒は元々駅弁を売る会社であった。その社長(故・野並茂吉氏)が横浜南京街で,つきだしに出される焼売に目を付け,それが日本人好みの味に 合っていると直感した社長は,南京街から,呉遇孫(ごぐうそん)という菓子職人をスカウトし,日本用の焼売の開発にとりかかったが,蒸したてはおいしいが,時間がたち冷めてしまうとおいしいとは言えないものになってしまった。駅弁として持ち帰り用の折り詰めにして売るには,時間がたち家に持ち帰ったころは冷めてしまうので冷めても,なんとか旨い焼売を食べられるように考えた。そのために色々な材料を変えて,試行錯誤の結果,ホタテに行き着いた。この干しホタテの貝柱とエキスを焼売に入れることにより旨みが増し,そして懸案であった,冷めてもおいしい焼売を完成させた。そして1928年(昭和3年)に焼売を1箱50銭で発売したと記載されている1)。
昔の中国において焼売 は小麦粉で作ったごく薄い皮の中に,豚ひき肉やみじん切りの野菜,調味料を加えたものを包んで蒸したものであり北方では焼麦(しゃおまい),南方では焼売(しゅうまい)と書かれて売られていた。そして中国料理の点心の一種で飲茶の時によく用いられている。この点心とは中国式軽食のことで,焼売,餃子などの甘味以外の味の鹹(かん)点心と,杏仁豆腐などの甘味の甜(てん)点心とに分けられている。この焼売はどんな時に考え出したかはわかっていないが,作られ始めたのは元代(1279~1368)であると言われている。元代の頃の焼売は巾着形をしており,その先端は花のようにひだになっていた2-3)。文献には1799年の「清俗紀聞」に絵図として書かれているのが最初で,文字としては1872年の「湖雅」に初めて記されている。点心の歴史はもっと古く,宋代の「能改斎漫」に初めて文字として現れるが,この本には点心が唐代にすでにあったと記載されている。焼売自体の伝来には不明な点も多いが,点心の語や習慣は,鎌倉時代
                                      
* 足利工業大学附属高等学校 電気科教諭
**足利工業大学附属高等学校 料理研究同好会顧問
(1185-1332年)の禅宗の渡来と共に寺院の制度や日常の習慣と一緒に入ってきた。南北朝(1336-1392年)から室町時代にかけての中国との行き来では,羹(かん),麺類,粥,饅頭といった点心が書かれている。ただし焼売は挙げられていないため,焼売が日本に入ってきたのは室町時代(1336-1573年)以降と考えられる。

2.中華料理の浸透
日本文化に対する中国文明の影響は歴史的史実からみて,肉食を中心とした中国料理の日本料理への浸透の発端は,文武天皇(697-707年)のころまでさかのぼると言われている。この朝廷と一部上流階級を窓口にした浸透は江戸期(1603年)まで続いた。他方,中世以降普及し始める仏教伝来(552年・日本書紀説)と共に伝来した精進料理は肉食系と中国料理とは異なって,寺院を通じて幾分かは大衆の間にも料理が少しずつ浸透し広まってきた。大正時代に料理書が西洋料理や中華料理など新しい料理の普及に果たした役割は大きい。また横浜中華街のからの日本への料理の浸透も大きかった。1859年(安政6年),横浜が開港すると外国人居留地(一種の租界)が造成され,欧米人とともに多数の中国人買弁(中国人商人や取引仲介者)や外国人外交官の雇い人が来住した。当初,彼らは香港や広東から来ていたため,広東省出身者が多かった。その後,横浜と上海,香港間に定期船航路が開設されると,中国人貿易商も来住し,居留地の一角(現在の山下町)に関帝廟,中華会館,中華学校などを建てていった。これが横浜中華街の原型である。初期の埋め立て地「横浜新田」の海岸線沿いに建てられたため,この地域のみの区画が約45°ずれている。この頃の商店は日用雑貨店,衣料品店,食料品店などの店が大半で,中華料理店は多くなかった。1872年(明治5年)には,柳麺(ラウミン)の屋台が出始めていた。1894年(明治27年)に日清戦争が勃発すると中国人の多くが帰国してしまうが,戦争が終わり1899年(明治32年)に条約改正により居留地が廃止されると,中国人は職業制限を受けたものの,居留地外にも住むことを許された。この時期は単に外国人街であった。1921年(大正10年)の横浜市商工案内によれば,この地区の総店舗数263軒中,日本人店は149軒,欧米人店79軒に対して中国人店35軒であり,そのうち中華料理店はわずか5軒であった。一方1910年(明治43年)の『名誉鑑』では有名な広東料理店として5軒が書かれており,1900年(明治33年)以降一挙に中華料理店が増えた。1923年(大正12年)9月1日に発生した関東大震災でこの地区も大打撃を受けて瓦礫と化した。そのために欧米人の多くが帰国してしまったために,やや中国人中心の街へと変わっていった。1930年代には完全に復興され賑わいを見せた。しかし,1937年(昭和12年)7月7日に勃発した日中戦争で多くの華僑が帰国してしまった店も多くでた。戦後の復興期には横浜港は賑わい,香港との往来も復活した。戦勝国である中国からの物資に恵まれ,1946年(昭和21年)2月20日の『神奈川新聞』によれば中華街で営業していた飲食店は96軒になった。1955年(昭和30年)には中華街大通りの入り口に「牌楼門」が建てられ,牌楼(門)の上「中華街」と書かれたことで,それまでは南京町と呼ばれていたこの街が次第に「中華街」と呼ばれるようになった。1972年(昭和47年)に日中国交正常化が実現した年に高橋柢祐氏を初代理事長に迎え,街作りへの志を同じくする者が集う横浜中華街発展会協同組合が発足した。そしてハード,ソフト面での整備が進められたことで日本人が多数来場するようになり,観光地として発展した。このことにより中華料理が日本中へ広がっていった。4)

3.片栗粉焼売について
筆者岩崎が40年以前に笠懸村(現在のみどり市笠懸町)の国道50号線沿いの山寺の南側の食堂で供されていた焼売の材料は豚の脂身,片栗粉,タマネギだけあり,そのタマネギの甘みが中に広がり,これに合うのがそこで出された辛みの強いソースでした。これが最初の思い出となっている。そして,この時に店の主人に焼売の作り方の話を聞いて10年ほど前の炭焼き教室の昼食の料理として出したのが今回の研究紀要の基礎となっている。この作り方は現在でもほとんど変わっていない。この焼売のタマネギは蒸かす時間が長くなるほど片栗粉の中に溶けて甘くなるためにソースの辛さと玉ねぎの甘さと相性が最も良くなっている。その数年後に足利市内の屋台のラーメン店で見かけて同じ焼売が販売され,現在でも足利市の移動ラーメン屋さんが太田市の近郊まで販売し,その中のメニューにありラーメンと共に出されている。テレビのニュースでは佐野市北部の食堂では地域興しとして片栗粉焼売を売り出している店がある。その作り方は片栗粉と水を鍋にかけ熱を加えて片栗粉の餡を作り皮に包んで蒸してソースの味で食べるものである。また足利市でも同じことをテレビで放送されていた。これらの事から,昔から両毛沿線のみどり市,桐生市,足利市や佐野市では昔から簡易な焼売として食べられていた地方食であるということが理解できると考えます。しかし佐野市や足利市の一部の片栗粉焼売は安くソースの味と一緒に触感を楽しむことに主眼を置いているが,このシリーズでは炭焼き教室の昼食としての観点から栄養と味に深みを持っている旧来からのラーメンや屋さんの方々が伝来されている脂身の多い豚肉からのエキスを利用し美味しくしている焼売を取り上げ,そして炭焼き教室用にレシピを書き上げた。また特に味の深みを醸し出すタマネギとソースについて詳しく説明を行う5-7)。

4.タマネギの歴史と栽培について
原産は中央アジアと言われているが,野生種は発見されていない。タマネギは日照時間が12時間以上長くないと結球しない植物である。そのタマネギの栽培の歴史は古く,紀元前のエジプト王朝時代(紀元前27-22世紀頃)には,ニンニク等と共に労働者に配給されていた。その後,ヨーロッパの地中海沿岸に伝わったタマネギは,東ヨーロッパ(バルカン半島諸国やルーマニア)では辛味の強い辛タマネギ群が作られ,南ヨーロッパ(イタリア,フランス,スペイン)では辛味の少ない甘タマネギ群が作られた。これらの両系統は16世紀に新天地のアメリカに伝えられ,さまざまな品種が作りだされた。しかしながら,原産地の中央アジアからシルクロードを通っての東のアジアには伝わらなかった。日本には江戸時代にオランダから長崎に伝わったが観賞用としての利用だった。食用としては,1871年(明治4年)に札幌で試験栽培されたのが最初とされる。このタマネギは栄養学的に優れ,大量生産が可能であり,かつ常温での保存が可能であり,世界各地の料理にも合うことから,軍隊や長期間の航海に出る船舶での利用により世界各地へ伝わった。そして1878年(明治11年),札幌農学校教官のブルックスにより本格的な栽培が始まった。その後の1880年(明治13年)に,札幌の中村磯吉が農家として初めて栽培を行った。品種としは,アメリカから導入された春まき栽培用の「イエロー・グローブ・ダンバース(Yellow globe danvers)」という品種が「札幌黄」という品種に,秋まき栽培用は1885年(明治18年),大阪に「イエロー・ダンバース(Yellow danvers)」という品種が導入され「泉州黄」に,フランス系の「ブラン・アチーフ・ド・パリ」が「愛知白」に名を変えて,それぞれ地域に定着化した。2005年の世界生産量は約6500万トンあった。平成21年の日本での生産量は115万4千t,作付面積は2万4千haで北海道に次いで佐賀県,兵庫県(主に淡路島),愛知県,長崎県,静岡県,大阪府(主に府南部の泉州地区)が主な産地である。 北海道は春まき栽培,他府県では秋まき栽培が行われるため,季節ごとに産地の異なるものが小売されている。日本での新タマネギの出荷は最初に長崎県の五島列島から始まり九州本土,四国,山陽から砺波平野などの産地の日本列島を北上して秋には北海道へ渡り,長い間にわたり新タマネギを食べることが出来る。北海道では晩生のスーパー北もみじを栽培している地域が多い。このタマネギを食べるところは主に鱗葉を食用としているが,ここには強い辛味・香味を持っている。もし生のタマネギを少し食べてみると甘みを感ずる。これはタマネギが光合成により栄養をでんぷんではなく糖の形で貯蔵するためである。従って通常の植物と異なりタマネギの鱗茎からはデンプンが検出されない。しかし糖度は高いが辛さが強いため辛く感じる。辛味は加熱するとなくなり,甘みが出る。一般的に食べられているタマネギの辛みの強さは,品種に よって違いがある。収穫時期は茎葉が6割以上倒れたら収穫を始める。貯蔵用にする場合は,3~5日間晴天が続いた後抜き取り,2~3日畝の上で乾燥させて,風通しのよい日陰に吊るしておく。表皮が乾くようにしっかりと乾燥させることで,その後の腐敗をかなり抑えることができる。乾燥後,ネットなどに6~7個ずつ入れて湿気がない,冷暗所に吊るして保存する。収穫の時期を逃して,長く畑におきすぎたものや,逆に早取りしたものはあまり保存性が良くありません。吊るす前にタマネギ球にカビが発生しているものや傷んでいるものを選別する必要がある。吊るすことによりタマネギは休眠し期間が長いほど熟成も進みおいしくなるが重さも減少するため,ある程度で熟成を止めて出荷されている。タマネギの保存方法で冷暗所で湿度の多い場所では発芽してしまうので注意を要する。日本での生産量の多い北海道北見地方(日本での生産量の25%を占める)では北見ラーメン・玉葱ジャム北見玉葱ラーメンなどが,地域興しとして作られている。またその中でも有名なのは顆粒にしたオニオンスープが有名であり全国で販売されている。北見のオニオンスープは東京都内の北海道物産展やアンテナショップでも販売され売れ行きも良好な食品である8-13)。

5.タマネギの栄養・効能・料理について
玉ねぎの主な成分は,硫化アリルとケルセチンであり,タマネギのピリッとした辛みは,硫化アリルには,ビタミンB1と結合してアリチアミンとなることで体内にビタミンB1を長く留め,ビタミンB1の吸収を促進する働きがある。ビタミンB1を多く含む食品(豚肉など)と一緒に食べると栄養的効果が見られる。ビタ ミンB1が不足すると,食欲不振,イライラ,不眠,精力減退,疲労などの症状が起きやすくなる。たまねぎを,肉の中でもビタミンB1が多い豚肉と一緒に調 理すれば,高い疲労回復効果が期待できる。高血圧の人は,玉ねぎのうす茶色の皮5-10gを煎じたものを,一日に何回かに分けて飲みむと,動脈硬化の予防にもなります。またタマネギをスライスして15分以上おいても効果があると言われている。ケルセチンはポリフェノールの一種で抗酸化作用,抗アレルギー作用もあり,水溶性で熱に強い性質を持ち生活習慣病の予防として効果が見られる。タマネギの成分は100gあたりリンが30mg,カリウムが160mg,ビタミンB1が0.04mg,食物繊維0.5gふくまれている。その他の効能としてタマネギは一年中保存ができ,料理法も生,煮る,揚げる,焼くなどのほとんどの調理に使える。サラダやキツネ色になるまで炒めてハンバーグやシチューの材料に使える。また水溶性のケルセチンを効果的に摂取するには煮込み調理やカレー,シチュー,ポトフ,スープなどが良いと考えられる。またタマネギには硫化物が含まれている関係から犬,猫,ウサギなどのペットに生のタマネギを与えると血液中の赤血球が破壊され志望することがあるので生では絶対に与えないこと14)。
※片栗粉(馬鈴薯澱粉)についてはキーマーカレーのところでジャガイモを取り上げた,シュウマイの皮の小麦粉についてはうどんの項目のところで取り上げたので今回は割愛する。

6.ソースの話について
 ヨーロッパの原始狩猟民族は,狩りの獲物の肉を塩漬けにし,香りの高い草の葉で包んで保存していた。ところがその葉から肉に芳香がつき,多少の臭いがあってもスパイスの香りでおいしく食べられることがわかった。ここから肉・塩・スパイスの結び付きが始まり,塩やスパイスによって出てくる肉汁からつくられた液体調味料がソースと呼ばれるようになった。イングランド中央部のロンドンの北西180Km程にある,ウスターシャー州の州都ウスター市で初めてつくられたため,その地名から「ウスターソース」と呼ばれるようになった。この市の企業としてウスターソースを商品化し,その名を世界に広めたのは,今も英国ウスター市で盛業中のリー・ペリン(LEA & PERRIN)社。1840年頃,市内で薬局を共同経営していたジョン・リー氏とウィリアム・ペリンス氏のもとにインド・ベンガル州の総督だったマーカス・サンデー氏がヒンドゥ料理用のソースのレシピを持ち込み,その製造を依頼した。二人は各種の香辛料を調合し研究を重ねた末に新しいタイプのソースを誕生させ,リー・ペリン社は世界初 のソースメーカーとして成功をおさめるに至った。日本にウスターソースが伝わったのは江戸末期の頃であり,明治に入り文明開化と共に普及してきたと考えられる。ソースの材料で本場イギリスのウスターソースではアンチョビ・タマリンド・エシャロット・クローブ・ニンニクなどを材料にしている。それに対し日本のウスターソース類は,トマトやリンゴなどといった野菜・果実の搾り汁・煮出し汁・ピューレまたはそれらを濃縮したものに,糖類・食酢・食塩・香辛料・でん粉・カラメルなどを加え,貯蔵熟成させて作る。お好み焼きソースで有名なオタフクソースはデーツ(ナツメヤシ)を使っている。ソースは明治維新以後,西洋料理が特定階層の人たちに広まるとともに,ソースの存在も広く知れわたるようになった。しかしながら,昔から味噌,醤油,味醂,昆布,鰹,椎茸などの旨み調味料の味に慣れ親しんできた日本人にとって,その味はやや辛く,酸味が強く,香辛料が強すぎて,当時の評判はあまり良くなかったと書かれている。しかし日本人の口に合うソースづくりへの努力は続き,コロッケやとんかつなどが庶民の人気を集めた大正時代には,ソース製造に乗り出すメーカーも増えてきた。それにより日本のウスターソースは,食の欧米化とともに家庭の食卓に定着していったと考えられる。
ソースの種類はウスターソース,中濃ソース,濃厚ソースとしてとんかつソース,お好み焼き用,ソース,やきぞば,たこやきソースなどがある。

7.日本農林規格について
日本農林規格(平成20年8月29日農林水産省告示第1365号)のウスターソース類の日本農林規格(JAS)には次のように定義されている。

(適用の範囲)
⦁ この規格は,ウスターソース,中濃ソース及び濃厚ソースに適用する。
(定義)
⦁ この規格において,
ウスターソース類 次に掲げるものであって,茶色又は茶黒色をした液体調味料をいう。
1 野菜若しくは果実の搾汁,煮出汁,ピューレ又はこれらを濃縮したものに砂糖類,食酢,食塩及び香辛料を加えて調整したもの。
2 1にでん粉,調味料等を加えて調整したものとなっている。
ウスターソース ウスターソースのうち 粘度0.2Pa・s未満のものをいう。
中濃ソース   ウスターソースのうち 粘度0.2Pa・s以上2.0Pa・s未満のものをいう。
濃厚ソース   ウスターソースのうち 粘度2.0Pa・s以上のものをいう。
(ウスターソースの規格)
⦁ ウスターソースの規格は,つぎのとおりとする。
       省略
(中濃ソース及び濃厚ソースの規格)
⦁ 中濃ソース及び濃厚ソースの規格
       省略
附則については省略する。

ソース製造会社でよく聞かれる会社を挙げるとキッコーマン(千葉県野田市),ブルドックソース(東京都中央区),エスビー食品(東京都中央区),ユニオンソース(東京都文京区),ポールスタア(東京都東村山市),明治屋(リーペリンソースの輸入販売元)(東京都中央区),カゴメ(愛知県名古屋市中区)コーミ(愛知県名古屋市東区,イカリソース(大阪府大阪市福島区),オリバーソース(兵庫県神戸市中央区),ハグルマ(羽車ソース・三ツ矢ソース)(和歌山県紀の川市),豊島屋(タテソース)(岡山県倉敷市),オタフクソース(広島県広島市西区),サンフーズ(ミツワソース・ヒガシマルソース)(広島県広島市南区),センナリ(広島県広島市安佐北区),ニビシ醤油(福岡県古賀市)チョーコー醤油(長崎県長崎市),トリイソース(静岡県浜松市)がある15-32)。
 両毛地域の特産として足利市と佐野市では昔からソースの製造会社が4社ある。足利市では焼きそばソースとして有名な月星食品と千鳥ソースなどの汎用製品を作っている日東産業があり, 昔から足利の学校給食用ソースとして足利市民から親しみがあったカザミソースはカザミ醤油から業務用ソースとして出されていたが現在は株式会社カザミに変更し本社を東京に移したが,足利の工場では野菜用ドレッシングのメーカーとして製造を続けている。佐野市ではミツハソースの早川食品と今回推奨するマドロスソースの半久食品がある。それぞれのメーカーは各種のソースを販売している。一般的なとんかつ,中濃,ウスター
,焼きそば用などの汎用ソースや,用途別の専用のソースも販売している。マドロス中濃ソースは辛みを持ち片栗粉焼売との愛称は一番である。なおこの店は佐野市
内にあるが見つけることは容易でないので佐野市の観光物産会館,道の駅「どまんなかたぬま」,佐野サービスエリア
の売店等で購入することをお勧めする。
右写真はオタフク、月星、ミツハ、マドロスソースである。

8.レシピの違いについて
一般的なレシピ
豚ひき肉250g焼売の皮1袋 タマネギ1/2個 片栗粉 大さじ2と1/2干ししいたけ2個
ずわいがに缶詰 1/3缶 塩 小さじ1強 砂糖 大さじ1 清酒 大さじ1 
ゴマ油 小さじ1/2 こしょう 少々 サラダ油 適量 練り辛子 適量
8-1.玉ねぎはみじん切りにし,片栗粉を混ぜ合わせておく。干ししいたけはもどしてみじん切りにする。かには軟骨を取り除き,飾り用に赤いところを別にとり,残りはほぐしておく。
8-2.豚ひき肉に調味料を加え混ぜ,タマネギ@,しいたけ,ほぐしたかにを加えてよく混ぜる。
8-3.(7-2)を等分して焼売の皮で包み,(1)でとっておいたかにをのせる。
8-4.サラダ油を塗った皿に(3)を並べ,蒸気の立った蒸し器に入れて,7~8分蒸す。
  ソースまたは醤油とからしをあえて使うことも多い33)。
今回のレシピ
豚ひき肉200g できるだけ脂肉の多い安物を選ぶこと。脂肉だけでも可。
焼売の皮 2袋  タマネギ大1個 塩 小さじ1 片栗粉(馬鈴薯澱粉)一袋200g Fig.1)
水(沸騰させ冷ましておく) 佐野市半久食品マドロス中濃ソース 葉野菜適宜 水 薄力粉20g
8-5タマネギはみじん切りにしてボールに入れる。Fig.1-2)
8-6豚ひき肉をボールに入れてよくかき混ぜる。Fig.4)
8-7その中に片栗粉を全部入れて,次に塩を入れたら水を加えてかき混ぜながら耳たぶくらいの硬さになったら具は出来上がりとなる。Fig.5-6)
8-8焼売の皮で餡を包み,蒸し器に並べる。この時に蒸し器の底に野菜の葉を敷き詰める。この野菜は白菜,キャベツ,ホウレンソウ,レタスなど葉野菜なら何でもよい。Fig.7-9)
8-9すべて並べたら40分程蒸す。蒸時間が長いのは玉ねぎが溶けて片栗粉の中に広がることによりタマネギの成分により甘くなるためである。Fig.10)
8-10火を止めたら蒸し器より取り出し皿の上に載せてマドロス中濃ソースをかけて食べると良い。
面倒な方は大皿を用意し蒸し器をそのまま皿の上に載せ,小皿にマドロスソースを入れて蒸し器から焼売取り出しソースを絡めて食する。これは冬の家族団らんの時には最適である。Fig.11-12)

9.レシピについて写真での説明
Fig.1 からFig.12に写真で説明してあるので参照されたい。

Fig.1 材料の用意                          Fig.2 タマネギをみじん切りにする















Fig.3 タマネギをボールに入れる                 Fig.4 ひき肉をボールに入れる















Fig.5 片栗粉を入れる                       Fig.6 水を加える















Fig.7 焼売の皮に餡を入れる                   Fig.8 蒸し器に野菜を並べる















Fig.9  葉野菜の上に焼売を並べる               Fig.10 40分蒸し上げる













 

Fig.11 40分程蒸す                         Fig.12 皿に並べる















10.最後に
料理は目で見,香りを嗅ぎ舌で味わい,それにより満足を得るものでなければならない。料理にはA級B級グルメなどという区分けは本末転倒である。フランス料理,日本料理,中華料理それぞれが一番上だなどと言っているアホな考えがまかり通っているのが不思議でたまらない。料理の基本は普段の食事の中にある。食べ物を食すことは生きて行くために必要なエネルギーを体内に取り入れることにより人間は生かされていることを自覚する必要がある。肉食をしないベジタリアンなどという考えはもってのほかである。植物も生きているのでありその生命を取り込んで生きているのを考えるべきである。なぜなら地球誕生により太陽系の中で唯一の水惑星が生まれ,その海の中で生命が誕生した。その時代には無酸素状態であり現在の乳酸菌などの祖先が誕生し,それから長い時代を経て植物系(酸素を作る生命)が生まれた。その後、動物系(酸素を消費する生命)が誕生し,それぞれの進化の歴史をたどり上位のものが下位を捕食し,その捕食した生命のエネルギーにより生き延びている。これが食物連鎖であり生態ピラミッド構造33)として我々は学んでいるのである。これらの動植物を大量に食材として生きるために消費している人類は,また食材の無駄を多く出している。そのような無駄をなくすことも必要である。水も大量に日本では消費しているが,その中でわざわざ外国産の水を購入している。外国産の水は硬水が多く関東では軟水のために食あたりをする人が多いので注意を要する。実際には日本の水は世界で一番安全で,かつ安く生産されている。これは水の中に入れている塩素により雑菌は死滅しコレラ等の病気は皆無であり水道水による人身事故はほとんど無い水である。塩素により水がまずいという方も多いが水を二分間沸騰させ冷たくすればおいしく飲める。またミネラルを取り入れたいのならば木炭を入れて浄化するのも一つの例である。ただし650 ℃以上で炭化され水で洗浄後に使用すること。また現在の東京都の水道水は高純度処理水(オゾン処理)であり日本で一番おいしい水となっている,昔の塩素臭い感じは全く見られない。
これらのことを考え安全かつ本物の味を未来に託すことも必要であり、このシリーズを炭焼き教室での昼食の料理として将来の日本を背負っていく子供たちに食の安全を考え歴史、栄養、料理法の勉強の一部として書いたものである。

 このシリーズは今回で6回目を数えたが炭焼きでの料理として今回が最終となる。今まで目を通していただいた読者に感謝し筆を折ることとする。

参考文献と関連ホームページ
1. 崎陽軒ホームページ (http://www.kiyoken.com)
2. 週刊朝日百科世界の食べ物119,野沢 敬,朝日新聞社,東京,1983, P.251-252.
3. 世界大百科事典19,下中 邦彦,平凡社,東京,1977,P.436.
4. 横浜中華街ホームページ (http://www.chinatown.or.jp)
5. 中国食物辞典,田中誠一,柴田書店,東京,1991,p94.
6. 中国園の家庭料理、畑野須濠、講談社、東京,1983,p.151.
7. 料理図鑑(生きる底力)をつけよう,越智登代子,福音館,東京,2004,p38,p294.
8. 世界大百科事典31,下中 邦彦,平凡社,東京,1972,P.146.
9. タマネギ畑に涙して、山下惣一、農山魚村文化協会,東京,1991 .
10. 週刊朝日百科世界の植物,タマネギ,朝日新聞社,東京,1980,p2353.
11. マギー・キッチン・サイエンス,香西訳,共立出版,東京,2001,p.243,251,261,264,p299-302.
12. 料理上手のスパイスブック,武枚三男,講談社,東京,1997,p12-15.
13. ビジュアルワイド食品成分表,新井映子,東京書籍㈱,東京,2008,p.36-37,p.74-75.
14. ㈱グリーンズ北見ホームページ (http://www.hobia.jp/agri/company/foods/post_31.html)
15. カゴメソースホームページ (http://www.kagome.co.jp)
16. ブルドックソースホームページ (http://www.bulldog.co.jp/)
17. 手作り焼売 (http://www.bulldog.co.jp/recipe/06dec/02.html)
18. オリバーソースホームページ (http://www.oliversauce.com/)
19. トリイソースホームページ (http://www.torii-sauce.com/index.html)
19. 高橋ソースホームページ (http://www.takahashisauce.com/)
20. キッコウマンソース (http://www.kikkoman.co.jp/index.html)
21. ヱスビー食品 (http://www.sbfoods.co.jp/)
22. ユニオンソース (http://www.unionsauce.co.jp/)
23. ポールスターホームページ (http://www.pole-star.co.jp/corporate.html)
24. 明治屋リーペンソース (http://www.meidi-ya.co.jp/)
25. コーミソース (http://www.komi.co.jp/)
26. イカリソース (http://www.ikari-s.co.jp/)
27. ハグルマソース (http://www.k-haguruma.co.jp/)
28. タテソース (http://www.teshimaya.co.jp/)
29. オタフクソース (http://www.otafuku.co.jp/)
30. サンフーズソース (http://www.sunfoods.net/)
31. ニビシ醤油 (http://www.nibishi-shop.com/)
32. チョーコー醤油 (http://choko.co.jp/index.php)
33. ダイナミックワイド図説生物,石川 統, 東京書籍㈱,2010,p.208.
34. 新・儲かるメニュー ギョウザ・シュウマイ・点心,岩崎信也編,柴田書店,東京,1987,PP 75-82.


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